落語・禁酒運動

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禁酒運動

 昭和初期、西洋の「禁酒運動」のあおりを受けて、日本にも禁酒宣伝や禁酒運動が持ち込まれ、ブームとなった。町には禁酒宣伝の街宣が現れ、禁酒を勧めるポスターや本が置かれた。中には禁酒演劇や落語に浪曲まで生まれたというのだから凄まじいものである。
 二月二十一日の禁酒推進デー。ある街角に
救世軍の禁酒宣伝隊が現れ、声高らかに演説を始める。
「諸君、恐るべきは酒、忌むべきは避け、酒こそは世を害し人を毒し、酒の為には巨万の試算も蕩尽貧乏となる、健康な体も病弱なものとなる、不道徳となり、不品行に堕落し精神病者となり、不良少年をつくり、一国を滅ぼし、果ては救うべからざる窮境に陥れる、これも皆酒からであります」
 救世軍が声高々に酒の害を論じていると、そこに一人の酔っぱらいがふらふらと街角へやってくる。一杯機嫌の男、禁酒宣伝の文句を聞きながら、「世の中に酒くらいありがたいものはない」と冷笑する。
 そして、宣伝隊の前を通ろうとすると、見覚えのある顔がある。それは甥っ子の徳蔵であった。
「なんや、お前は徳じゃないか」
「あ! 伯父さんですか」
「やっぱり徳か。しばらく見なんだらこんな仲間に入っているのか。何という情けない恰好をしているのや……」
 と酔っぱらいは、甥に向かって説教をはじめ、「青白い顔を治すために一杯飲めよ」と飲酒を勧める。
 これを聞いた徳蔵は「伯父さん、今日はそういうわけにはいきません」と、酔いどれのおじに飲酒の害をこんこんと論じはじめる。
 しかし、おじは聞く事もなく、「そんなバカな話があるか」と管を巻く。そこに出てきたのが、禁酒宣伝隊の隊長と思しき男。男は演説台に立つと、一層声高々に禁酒宣伝の文句を煽る。
 これを聞いて気に食わないのが酔っぱらい。何かにつけてはその男の文句にケチをつける。徳蔵は「静かにしてください」と頼むが、伯父さんは一層つけあがる。
 我慢しきれなくなった隊長は「もしもし静かにしてください。これは遊びや冗談で言っているのではありません」と一喝する。
 しかし、酔っぱらいはそうした態度も気に食わず、「お前ら救世軍は募金を募っているが、それも小遣い銭になるんやろ」と暴言を吐く。
 男は怒り出し、伯父は一層管を巻く。徳蔵は涙ながらに「伯父さん目覚めて下さい」と頼み込む。
 男は徳蔵に向かって、「君の伯父だそうだが、なぜ禁酒を勧めない」と叱責する。徳蔵は「いってもやめないのです」といって、「おじさん目覚めて下さい」と泣いて頼み込む。
 そんな禁酒宣伝隊の文句が気に食わない伯父は、一層強く隊長らしき男に文句を並べる。体長は整然と利を並べ、酒の害を解くが、伯父もなかなかさるもので、あの手この手と反論する。
 遂に頭にきた隊長らしき男は、一枚の紙を持ち出して「この絵をご覧になれば、いくら酒が好きと言えど、酒を辞めずにはおられまい」
 酔っぱらいは「何が書いてあるんや」というと、男は絵を指し示しながら、「今既に酒におぼれんとしているものです」と警告する。酔っぱらいはじっと絵を見ていたかと思うと笑い出し、

「どれどれ……ワハハ、成程酒の中で泳いでいるのやなあ! うらやましい! 俺もこんな身になってみたい」

『週刊朝日』(1927年3月2日号)

 後に舞踊家・花柳芳兵衛と改名した桂小春団治が噺家時代に演じた新作落語。当時の禁酒宣伝や禁酒運動を巧みに織り込んでいるのがミソである。

 禁酒運動の先頭に立ったのはキリスト教団体の救世軍であった。キリスト教の理念に従い、廃娼運動や禁酒運動を盛んに行っていたのは、当時の小説や新聞からも伺い知れることである。

 そんな真面目な救世軍の禁酒運動に、アル中のような親父が絡んで、全くトンチンカンな会話をするというのが、どこかおかしく、哀しい。今日で例えるならば、陰謀論と論述家の論争や健康論争に近い所がある。

 禁酒運動が下火になった今日ではやるにも難しいネタであるが、一つの資料的な価値のある話ではなかろうか。

 かつて桂小春団治を名乗り、自身もクリスチャンであった露の五郎兵衛の娘、露のききょうが「キリスト教を題材にした落語」の一環として、この『禁酒運動』を復活させて演じたことがある。

 爆笑をかっさらうには難しすぎる処であるが、一つの風俗史料としては相応に練られたものであると思われるのであるよ。

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