朝鮮だけの二代目・桃中軒雲右衛門武力

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朝鮮だけの二代目・桃中軒雲右衛門武力

 人 物

 桃中軒とうちゅうけん 雲右衛門くもえもん武力ぶりき
 ・本 名 ? 兼吉
 ・生没年 ??
~1922年以降
 ・出身地 東京?

 来 歴

 戦前活躍した浪曲師。雲右衛門の弟子で、元々「武力」と名乗っていたが、後年「桃中軒雲右衛門武力」とやたら長い名前になった。

 生年と本名は『芸人名簿』に出ていたと記憶するのだが、確認しても出てこない。どうしたものだろうか。記憶違いでも起こしているのだろうか――

 元々はブリキ屋の職人だったそうで、そこから「武力」と名付けられた。雲右衛門門下の中でも一、二位を争うふざけた芸名である。

 その経歴は、アメリカの日系人向け新聞『新世界』(1921年4月3日号)に詳しく出ている。

素性を洗ふと東京下谷の武力屋の職人で兼吉(かねきち)と云ふ男、性来浪花節が好きで町風呂の湯槽の隅に陣取っては毎夜のやうに桃中軒張りを唸つてゐたが近所の若い者から『何だい兼ちゃん一層の事浪花節で渡世をしちア……武力屋の職人じア先生たア言はれねえ』と水を向けられたのが病附きで遂々初代雲の 
▲門弟となつたが性来器用な男で音調は日に日に発達した一体初代雲は人も知る黒龍會仕込みの物に頓着のない男だけに此の兼吉を職業通り『武力』と名乗らせた

 また、『読売新聞』(1920年4月1日号)によると

 其昔初代雲右衛門の弟子として、彼が最終の新富座興行の際にはもたれ迄語りだった武力は十四歳以来雲の薫陶を受けてゐたが、師匠歿後関西九州台湾に向けて、師匠の負債を返済して歩いて、漸く此度上京一日から五日迄新富座で、二代目雲右衛門として華々しく初興行を打つ事となつた。

 とある。

 1916年頃、朝鮮半島に渡り、巡演を続けていた。上の新聞によると「木賃宿に寝泊まりして遊び暮らしていた」。

 この頃、雲右衛門も朝鮮巡演の依頼に乗り、大々的に打ち出す事となったが、渡航直前で雲右衛門は昏倒。渡航が出来なくなってしまった。

 そこで興行主たちが目を付けたのが、朝鮮にいた武力である。声もよく、節廻りも雲張りで下手ではない。顔やいでたちも雲右衛門にちょっと似ている。彼らは武力を「二代目雲右衛門」という形で売り出し、朝鮮半島を回った。

 当然、これは本家の桃中軒一門や遺族に知れ渡る事となり、破門寸前の事態に至った。『新世界』(4月4日号)によると、

此の事が東京の桃中軒宗家に知れるとさアー門弟共が無言て居ない 
◇誰の認可を受けて二代目を襲名したと早速厳談に及んだ既んでに破門と云ふ極刑にまで決定したんだが朝鮮の興行師から今度丈けは見ぬ振りを為て貰ひ度いとナキを入れた

 とまでこじれた。しかし、興行師の嘆願のおかげで、破門だけは何とか免れ、遺族も、「◇其処で宗家の方でもまアー仕方が無い朝鮮丈毛は目を閉つて居て遣ろうと云ふことになつたものだ」という事になって、ここに黙認が出来てしまった。

 以来、「桃中軒雲右衛門武力」というやたら長い芸名が誕生した。この表記もなかなか考えてあったそうで、ポスターやビラには大きく「桃中軒雲右衛門」と記し、ワキにちっちゃく「武力」と加えておくという周到ぶりであった。

 武力に続いて、雲州、雲大亟、白雲までもが「二代目雲右衛門」として名乗りを上げてしまったため、ここに大きな混乱が起きるようになってしまった。

 そのため、武力は「二代目雲右衛門武力」という形で区別されていたという。

 1919年、オリエントから『村上喜剣』を吹き込んでいる。名義は「二代目桃中軒雲右衛門武力」。相当カマをかけたものである。

 それでも、雲右衛門の実地を知らない田舎の客や外地の客には結構受けたらしい。また、問題のある二代目と知りながら、雲右衛門を偲べる存在としてそこそこ重宝されたようだ。

 1920年4月より、松竹と専属契約を結び、大舞台に出るようになった。『都新聞』(1920年3月28日号)に「◇中国、九州地方を巡業したる桃中軒雲右衛門武力は、魚河岸の後援者の下に来る四月一日より五日間、新富座に開演の由。尚、同人は四月より松竹専属となる。」とある。

 1921年7月31日から、8月10日までの間、新富座で桃中軒雲右衛門武力公演会を実施。桃中軒雲楽、木村正かり、東武蔵、広沢菊水等も出演。

 しかし、この頃から既に患い始めていたらしく、寄席や劇場への出演も少なくなる。

 1922年4月3日付の『都新聞』に、

◇初代雲右衛門が亡き後は二代目雲が続々として現れた事、雨後の筍のやうであつたが、昨今は漸く桃中軒雲州の二代目雲右衛門と武力といふ二人丈けになつたが、可愛さうに武力は肺的の病で檀上に再び起つ事はむづかしいといはれてゐる。

 とある。これから一年半後、関東大震災が発生し、一旦関東浪曲界も壊滅に陥る。この震災以降、一切出て来なくなるところを見ると夭折した模様である。

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