関西へ行った末廣亭清風(三代目)

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関西へ行った末廣亭清風(三代目)

 人 物

 末廣亭すえひろてい 清風せいふう
 ・本 名 ??
 ・生没年 1890年代~戦前?
 ・出身地 東京?

 来 歴

 名門末廣亭の三代目であるが、謎が多く残る不思議な存在である。「小辰丸」時代は相応の人気があったと見えてレコードを残している。ただこのレコードも謎が多く、結果として謎ばかり残る。

 数少ない経歴として、『読売新聞』(1929年2月15日号)のラジオ欄が参考になる。

けふのお昼の浪花節は今春三代目末廣亭清風を襲名した末廣亭小辰丸が最も得意とする『伊達騒動』を口演する、三代目清風の師匠は初代清風の弟子末廣亭小辰丸である、大正七年入門し最初の芸名を末廣亭辰浦と名乗つてゐたが師匠小辰丸が歿すると共に、師匠の芸名小辰丸を襲名して、暫く関西の親友派に属して芸道に勤しんでゐたが今年正月久し振りに上京して清風を襲名し、けふ初めて東都の浪花節ファンへ御目見得を兼ねて初放送する譯である

 師匠は末廣亭小辰丸。上では初代清風の弟子とあるが、実際は清風門弟の二代目辰丸の弟子であったらしい。

 小辰丸は本名・藤木萬次郎といい、明治18年12月27日の生まれ。二代目辰丸に師事し、「二代目末廣亭小辰丸」を許された人物である。

 そうした関係から本当に資料がない。それに小辰丸が、三人もいるために誰が誰なのかまるで分らない。

 1917年、小辰丸に入門して「辰浦」。しばらくして師匠が死んだので「小辰丸」を襲名したというのが興味深い所である。

 小辰丸時代は関西親友派に所属し、大阪の寄席に出ていたという。人気はそこそこあったらしく、レコード吹込みをしている。ただ、この小辰丸が一体何代目の吹込みなのか判然としないので、どれだけの枚数があったのかは不明。

 なお、小辰丸時代の音源は日文研のサイトで聞ける。興味ある人はぜひ。

 1929年2月15日、JOAKに出演し「伊達騒動・松前の出府」を放送している。

 その後は襲名披露を兼ねて東京の寄席に出ている様子が確認できる。

 清風という大名跡を継いだお陰か知らないが、東京の各種レコードから30枚ほどレコードを吹き込んでいる。明るく諧謔の多い関東節である。どちらかといえば寄席打ちの芸だったのだろう。

 1929年7月、オリエントから「壷坂霊験」を発売。

 1930年9月、ニッポノホンより「宇都宮釣天井」を発売。

 1930年9月、コロムビアより「恒川半三郎」を発売。

 1931年1月、ニッポノホンより「恋の白浪」を発売。

 1931年2月、コロムビアより「出世誉の高虎」を発売。

 1931年4月、ニットーより「太刀山と相生」を発売。

 1932年5月、コッカより「(浪曲描寫) 肉彈三花三勇士」を発売。高岡正諷の琵琶や演奏団の洋楽が入る面白い音源である。

 1932年7月、ショーワより「千両幟」を発売。

 1932年7月、太陽レコードより「魚屋本多」を発売。ここでわからないのが、「清風改め末廣亭小辰丸」と名前を出戻りにしている所である。なんで芸名を戻したのだろうか。

 そのくせ、清風でも活躍しており、1933年1月には「壷坂寺」をリーガルから吹き込んでいる。

 1933年6月、リーガルより『大岡政談・獄門の金蔵』。

 1933年11月、昭和より『紺屋高尾』。こちらは小辰丸名義。

 1936年9月、リーガルより「江藤新平と名妓お鯉」を発売。

 他にも十八番の『安中草三郎』『伊達騒動』などを吹き込んでいる。これらも日文研で聞ける。こっちの方が確証が取れる。

 1930年代半ばまで確認ができるものの、それ以降どうなったか判然としない。最初から最後まで謎を残す人物である。

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