落語・消化器

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消化器

 外国帰りの若旦那が挨拶を兼ねて熊さんの家を訪れる。
 若旦那はドイツで勉強をしてきたそうで、「新発明の機械」を持ち帰ったという。
 その機械は、「円型の金属」で「自分の食べた物を電波で他人の胃腸に移し替えて消化させる」というすさまじい発明品であった。
 熊さん、これを借り受けて、さっそく若旦那の食べるものの共有をはじめる。
 若旦那は洋菓子やコーヒーを飲み食いする。熊さんはそのおいしさに感動をする。
 その内、若旦那はウイスキーやワインを飲み始める。熊さんにもすっかり酔いが回る。
 そこへ熊さんのおかみさんも帰ってきて、熊さんに勧められるままに消化器を使って共々泥酔をする。すっかりいい気持になった二人は床に入って爆睡をする。
 気の抜けた夫婦の事、夜中に泥棒が入り込む。二人が泥棒を追っかけ大騒ぎしている所へ、若旦那がやって来て「どうも食うものが身にならなくてたまらない」と嘆き、機械を返すようにいってくる。
 熊さん、
「で若旦那、この消化器というのは俺の胸の焼けぬようにですか」
 と尋ねると、若旦那、

「いや、僕の胃の用心だ」

『読売新聞』(1939年5月6日)

 戦前戦後の大御所、桂小文治が度々やった新作。当人はお気に入りだったらしく、戦後も時折かけたという。

 発想的にはドラえもんの名作(?)「おすそわけガム」(このガムを噛むと各自の味覚がほかのメンバーと共有できるという道具。のび太はこれでスネ夫のメロンをせしめるが……)に似ているが、後半がダレてしまっているせいか、なんだかちぐはぐな感じがする。

 小文治の省略的な話術もあってか、あまり面白いネタではなかったそうで、談志は『談志絶倒昭和落語家伝』の中で「妙な新作」と貶しているし、川戸貞吉に至っては「聞いてあきれた」「しっかりと古典が出来るのにこういう愚劣な新作をやられると辟易した」というような事まで書いている。

 なお、談志の証言を正しいとするなら、戦後はどうも「社長と社員」みたいな形で、宴会疲れの社長の代わりに社員の熊さんが「消化器」を使う――みたいな感じに変化していたそうな。

 そういった中途半端な演出もますます愚劣さに拍車をかけたのではなかろうか。

 ただ、発想としては『犬の目』『義眼』というようなSFっぽいところがあって、全部が全部愚劣とは言い切れない、不思議な作品である。

 上の口演を元に洗い直して、オチもまとめて、あえて「モダンSF」風にしてやったら、相応にウケる気がするんだが――

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