落語・たらい

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落語・たらい

「山中峰太郎先生の小説から脚色をした次第でございます」という口上から落語に入る。

 平凡なサラリーマン・安井、ここ最近ずっとぼんやりとしている。
 同僚が飯に誘ったり、声をかけても上の空。しかも両手は包帯をしている。
 ある時、同僚と弁当を食べることとなった。
「おかずは何や」
「教えたらおかず半分くれるか?」
「しゃあない。おかずは何や」
「今日は国際日や」
「国際日、奮っとるな。わしはフライや」
 しかし、中を開けると梅干し一つの日の丸弁当。
「なんや、日の丸弁当やないか」
「国旗だ」
 だべっていると、「社長からお呼び出しがあったから部屋に来てくれ」と声を掛けられる。
 恐る恐る社長室を尋ねると、社長は上機嫌で「あんたは努力しておる」「来月から昇給して月給50円にしてやろう」と約束してくれる(社長の名前を山中峰太郎といってクスグリを取る場合もあったという)。
 安堵する安井であったが、社長は「時にどうして両の手を包帯している」と尋ねる。「自転車でけがをした」とごまかそうとするが、社長は「偽らなくていい。私に正直な所をお話しなさい」と優しく言う。
 それを聞いた安井は泣きながら、「実は妻と喧嘩をした」と告白をし始める。
 曰く、安井はある女と結婚して一年がたった。一年前は優しかった彼女も今や口うるさく、いう事を聞かない存在になってしまった。
 先日、「弁当のおかずには滋養のある者を入れてくれ」と頼んだら「油揚げとねぎが滋養がある」と言われて、弁当の中身が毎日それになった。当人は満足していたが、仲間が「ねぎと油揚げでアブナン」「アブナンだ」と冷やかしてくる。
 そこで、「もう少しどうにかしてくれ」というと、「明日は国際日だからとびきりの弁当を作ってあげる」という。楽しみにして中を開けると梅干し一つの日の丸弁当。仲間に大笑いされ、赤っ恥をかいた安井は家に帰って、妻に文句を言うと、妻は「結婚して1年、下駄の一足も買えないような夫」と逆ギレして泣きだしてしまった。
 それで、取っ組み合いのけんかになり、手を負傷した――というのである。
 事を聞いた社長は「よくあることです。君にその解消法を教えましょう。夜、内緒で我が家に来てください」といい、昼休みの終わりを告げる。
 その夜、安井は社長宅を訪ねる。社長は快く彼を迎え入れる。
 中に入ると社長は「今拭き掃除をしておった。うん、お茶を出したまえ。リンゴも出す? ナイフを貸しなさい、私がやりますから。」と、自分から家事を率先してやっている。
 そして、安井に「君は奥さんの腰巻を洗った事がありますか」と尋ねる。
「社長、僕は日本男児ですよ。女房の腰巻なぞ洗えますか」
 怒る安井に、社長は「腰巻を洗えない……それじゃ家庭が冷ややかだ。腰巻を洗えたら一人前だ。僕は毎日洗いますよ」
 そして、安井に「心をたらいにする事だ」と諭し始める。
「僕も初めは腰巻なぞ洗えなかった。けどおかげさまで洗えるようになりました。それがために家庭円満、社は盛大になっておる。僕が洗うたらいと言っても、あの大きな木でこさえた汚いたらいじゃない、わが心をたらいにして、女房の腰巻を洗うのです。女房は腰巻を表せないようになった。そのうち、女房は僕の褌も洗うようになった。僕はなかなか洗わせない。そうしているうちに、たらいはいらなくなった。これが円満です。我が家ではたらいがいらなくなりました。でも、たらいは捨てません。今度は君たちの褌や腰巻を洗おうと努力しているのです」
 と、許容する心をたらいに例え、自分が率先してやらねば相手も変らないという。
 感心する安井であったが「しかし、うちのは、社長の奥様と違ってアホですから、増長いたすかしれません」というと、「増長するのもいるかもしれないが、そうとなったら、たらいを大きくして君が受け入れればいい」「しかしやると決めたら、最初は女房に行ってはいけまんぞ。自分で苦しまねばなりません」と答える。
 そして、「何かの参考になるかもしれないから」と自分の苦労を書いた日記を貸してくれるのであった。
 社長の度量の広さに感心した安井は、社長宅を後にする。
 家に帰る途中、車が泥をはねて自分のズボンを汚してしまったが、「自分が洗えばいい、怒る事はない」と意識的に己を変えようとする。
 家に帰るや、下駄をそろえ、全部の靴をきれいにした。中に入ると女房は高いびきで寝ていた。ムッとする心を押さえて、二階へ上がり日記を読み始める。
 その中には短気だった社長が円満人徳な人物になるまでの過程が延々と記されていた。
 そして、安井はたらいになる事に務めて3年の月日がたった。その年の大晦日の事。
 家事を率先してやり、円満的な人物になった安井であるが妻はそれに気が付かない。
 早く家に帰ってこない妻は「何をしているんだ、うちのバカ夫は」とイライラして待っていた。何気なしに二階へ上がり、夫の机の中を漁ると件の日記が出てきた。
 妻は社長の部分の日記を見て「ああ、うらやましい。うちの安井もこんな円満人徳な人で有ったら」と嘆く。すると、後ろの方に「たらいの感想」と夫の日記が出てくる。
 妻は「浮気でもしていたらうんとイジメてやる」と読んでみると、そこには夫が「たらい」になるための苦労が書いてあった。
 ひたすら妻に言われる愚痴や嫌味を素直に受け止め、「一度はタガが外れかけたが、やはりたらいにならなきゃいけない」と、夫が円満人徳になる様子が書かれていた。
 それを読んだ妻は動転する。
 そこへ夫が帰ってくる。夫は「給料たくさんもらった、別口に社長がプレゼントをくれた。お前の好きなキャラメルも買って来たぞ」と、優しく妻にいう。
 妻が何かしようとすると、「掃除か、俺がしてやるよ。火も起こしてやるから。そこで寝て一服しておれ」

「ホホホホ……」
 奥さんは泣き始めた。それがうれし涙なのか、哀しい涙なのか――皆さんのご推察にお任せします。

『落語名作全集五』

 桂小文治が演じた小説をもとにした新作落語。「山中峰太郎先生が書いたもの」と枕で振るように、本当に作家・山中峰太郎が執筆したものを落語にしたようである。

 当人は『落語名作全集五』のなかで「山中峯太郎さんの作で題は〈たらいの福音〉発表誌は『婦人公論』で大正十一年頃と記憶しています。私はこの小説に感動しまして原作者のお許しをえて題も変え……」と語っている。

 昭和初期には既に十八番にしていたようで、名人会や放送、レコードでもたびたび演じている。

 当時「新しい女性」「男女平等」という概念が呼ばれるようになった中、そうした思想や理念をうまく取り入れている。

 原作が大衆小説だけあってか、一篇のサラリーマンものになっているのは流石山中峯太郎というべきだろうか。

「他人をよくするには自分が良くならねばならない」という思想は、今も通じるところがある。そして、どことなくジェンダー・イクメン的な所があるのも面白い。

 もっとも、今の世の中、安井みたいな「たらい」の如き人物は、悪人悪女に良いように使われ、食いつぶされる気がしてならないのだが――ああ、悪が蔓延る世の中よ。

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