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関西派の中堅・広沢虎遊
人 物
広沢 虎遊
・本 名 近藤 官七
・生没年 1892年8月2日~戦時中?
・出身地 香川県 仲多度郡
来 歴
広沢虎遊は明治から昭和初期にかけて活躍した浪曲師。二代目広沢虎吉の弟子で、関西派の若手・中堅として華々しい人気を博した。戦後浪曲師・歌手として活躍した村田英雄の実父・広沢仙遊(舟遊)の師匠としても知られる。
経歴は『東西浪界写真名鑑』に詳しい。
本 名 近藤官七
生年月日 明治二十五年八月二日
出 生 地 香川県仲多度郡高篠
師 匠 二代目廣澤虎吉
初入門年月 明治四十五年七月三日
芸(十八番)加賀騒動
趣 味 探勝、読書
初 舞 台 大阪松島、廣澤館、ニ十才
香川から大阪へ上り、普通に働いていたそうであるが浪花節が好きで、当時全盛を誇っていた廣澤虎吉に入門。少し上の兄弟子には広沢晴海、弟弟子には広沢虎造がいる。
明治が終る1912年に初舞台を踏み、「広沢虎遊」と名付けられる。
以来、廣澤虎吉の薫陶を受けて、新鋭として売り出す。師匠譲りのケレンや『加賀騒動』『国定忠治』といったものまで幅広く読んだという。
1922年頃、親友派の役員改選が行われ、親友派青年会会計に就任。
1926年5月、特許レコードより「谷風の少年時代」を吹き込み。
1926年9月、金鳥レコードより「国定忠次」を吹き込み。
1929年3月17~19日、JOBKに出演し、「品川の仇討」を三日放送。
1931年11月15日、JOBKに出演し「鬼一法眼と牛若丸」を放送。
1933年7月2日、JOBKに出演し「加賀騒動」を放送。
1934年4月3日、JOBKに出演し「大久保彦左衛門」を放送。
1938年の番付では、「重鎮」。
1941年の番付では「世話役」。
戦時中の番付までは確認できるが、戦後になると名前が消える。没した模様か。
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