2022-04

浪曲を彩った人々

落語・怪談ショートショート

神津友好が執筆し、柳亭痴楽が演じた「怪談ショートショート」という落語の紹介です。ショートショートというタイトルの通り、小咄を連ねて、短いシチュエーションを次々と披露するというもの。
浪曲ブラブラ

人力車夫出身の木村重治

「人力車夫出身の木村重治 - 浪曲を彩った人々」木村重治は浪花節黎明期から大正にかけて活躍した浪曲師。木村重勝の直弟子で、明治末には関東節の名人として鳴らした。しかし、晩年は養子を失った上に自身も病気で倒れるなど不遇であった。
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研究会出身の春日井枝女太

「研究会出身の春日井枝女太 - 浪曲を彩った人々」春日井枝女太は浪花節黎明期に活躍した浪曲師。春日井梅鶯が売り出すまでの間、春日井梅吉と共に春日井派の残光を守る貴重な存在であったという。
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台湾勤務の巡査から浪曲へ・浪花亭偲

「台湾勤務の巡査から浪曲へ・浪花亭偲 - 浪曲を彩った人々」浪花亭偲は浪花節黎明期から、大正初頭にかけて活躍した浪曲師。元々は台湾の巡査であったが、浪曲に興味を覚え、浪曲師になった変わり種であった。矢野龍渓の『経国美談』などを看板にしていたそうであるが、最後は寄席のトイレで卒倒し、息を引き取った。
浪曲を彩った人々

春日井梅鶯の名付け親・春日井梅吉

「春日井梅鶯の名付け親・春日井梅吉 - 浪曲を彩った人々」春日井梅吉は浪花節黎明期から戦前まで活躍した浪曲師。当人はドサ周りの浪曲師で終ったが、春日井梅鶯の力量や未来を見抜き、春日井の屋号を再興させることに成功した。
浪曲を彩った人々

興行師から浪曲師に・玉川勝太夫

「興行師から浪曲師に・玉川勝太夫 - 浪曲を彩った人々」玉川勝太夫は戦前活躍した浪曲師。長野を代表する大興行師であったが、戦時中の興行難で知り合いの浪曲師・玉川勝太郎に弟子入りし、そのまま浪曲の芸人になってしまったという変わり種であった。
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末廣亭清風の息子・末廣亭小清風

「末廣亭清風の息子・末廣亭小清風 - 浪曲を彩った人々」末廣亭小清風は戦前活躍した浪曲師。末廣亭の創業者・末廣亭清風の実子であったという。浪曲師として舞台に立ったが、父の引退と共にやめたらしい。
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女教師から浪曲師へ・天中軒雲月女

「女教師から浪曲師へ・天中軒雲月女 - 浪曲を彩った人々」天中軒雲月女は戦前活躍した浪曲師。愛知県で教師をやっていたが、初代雲月の支配人からその声と素質の良さを見込まれて浪曲師になったという変わり種。天中軒女雲月、天中軒雲月嬢という似た名前がいるのでややこしい事ありゃしない。
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関東大震災で死んだという東家楽右衛門

「関東大震災で死んだという東家楽右衛門 - 浪曲を彩った人々」東家楽右衛門は戦前に活躍した浪曲師。東家楽燕門下の新鋭であったというが浅草出演中に関東大震災に巻き込まれ、圧死を遂げたという。その犠牲者として僅かに名を残している。
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在米四十年の浪曲師・京山小為

「在米四十年の浪曲師・京山小為 - 浪曲を彩った人々」京山小為は戦前戦後活躍した浪曲師。大阪の京山一門の流れを汲んでいたというが、明治末にハワイへ移住し、以来太平洋戦争敗戦までの40年近い間、ハワイの日系人や関係者のために浪花節を演じていたという稀有な人物であった。