三友会幹部・京山福造

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三友会幹部・京山福造

 人 物

 京山きょうやま 福造ふくぞう
 ・本 名 有田 隆一
 ・生没年 1889年3月14日~1943年
 ・出身地 大阪市

 来 歴

 京山福造は戦前活躍した浪曲師。無名に近い師匠につきながら、独学で一枚看板を掲げ、広沢菊水、広沢虎月と共に関西浪曲の屋台骨を支えた。達磨のような見事な恰幅と、常識的で理知的な人間性から大幹部や席亭より信頼され、浪曲親友組合の事務も担当していた。

 経歴は『浪花節名鑑』に詳しい。本名・生年月日・出身地、それに前歴は以下から皆割り出した。

師は大阪市旧天満橋二丁目花柳界に縁故ある家業をなす家に呱々の声を挙ぐ、故原盛氏の紹介にて京山大多福師の門に入る、時に十四歳なり爾後克苦精励日夜修業の効あり国光本席に初高座当初より人気湧くが如く忽ち其存在を認めらる、其後東都に遊び、円車、浪花亭愛造師の門を叩きて大に会得する所あり十八歳にして真打の披露をなすに至る、真に鬼才と言ふべし、帰阪後伊勢吉師の許にありて奈良丸、小円、若丸諸師の一向に加はり令名あり現今は奈良丸師の膝下に歴史的読物を研究しつつあり捗りて事務を快掌っせられつつあり、此一事を以て師が如何なる高徳者なるやを知るに足る

 師匠の大多福は京山恭安斎の弟子で、京山小円や若丸と兄弟弟子にあたるが、特に優れた師匠ではなかったらしく、これという逸話も名人伝説もない。

 その中で福造は、様々な芸人の芸やネタを学び、更には東京へ武者修行にも出かけている。当時はまだ桃中軒雲右衛門が出てくる前であったが、浪花亭愛造、三河家円車、春日亭清吉、木村重勝・重松などが健在で人気を競い合っていた。

 中でも人気絶頂にあった愛造や円車からの影響は大きく、関西にはないネタや節を持ち帰って関係者を驚かせたという。

 そうした努力の甲斐あって18歳で真打に昇進。「京山福造」として全国を回るようになる。

 色々な師匠について、前読みを経験した裏打ちから、若手でも有数の持ちネタを記憶していたそうで、こうしたネタの広さ、達者さも大幹部の前読みや前座として使われる大きな要因となった。

「黒田騒動」「義士伝」「天下茶屋の仇討」「小栗判官」「鉢の木」「紀伊国屋文左衛門」「伊達騒動」「大川騒動」「塩原太助」「寛永力士伝」「寛永三馬術」「柳生二階笠」と確認できる持ちネタだけでもこれだけある。端物や段物になると相当な数になるだろう。

 1914年4月、三悦堂より「栗山大膳」「雷電小野川」「五郎正宗」を吹き込み。

 1915年には先輩の京山若丸一座の前読みとして随行し、朝鮮半島を巡演している。

 1919年には既に浪曲親友組合の評議員に任じられている。人徳があり、雅号を持つほど筆まめだったところから、親友組合の内部の書記や議事など、大幹部のなだめ役や相談役としても活躍を続けたという。

 評議員入り前後で、同期世代の広沢菊水、広沢虎月と共に「三友会」を結成。この三人で一座をなし、全国を巡業したという。高い人気を集めた。

 1921年8月、日蓄・日東より「紀伊国屋文左衛門」を吹き込み。同演目を吹き込んで、発売するという珍しい例である。

 1925年3月、ハワイへ渡り、ハワイ公演を実施。吉田花若、女流の中川伊勢二、弟子の京山鷹造、それに三味線の一行であったという。各地で大入りを記録し、アメリカ本土へ渡る話もあったようだが、先約が入っていた関係から、7月限りで帰国を遂げた。

 1926年8月23日、大阪放送より「中島右馬之助」を放送。

 1926年11月18日、上京してJOAKより「紀文」を放送している。

 1927年6月16、17日、名古屋放送局より「塩原孝子伝」の上下を放送。

 1928年3月24~26日まで3日間、名古屋放送より「柳生飛騨守」を放送。

 1929年6月7日、仙台放送局より「鉢の木」を放送。

 1930年6月15日、上京してJOAKの「浪花節大会」に出演し、「赤垣源蔵」を口演。日吉川秋斎、木村重浦、東武蔵、浪花亭綾太郎が出演。

 1930年9月、オデオンレコードより「紀伊国屋文左衛門」を吹き込み。

 1930年11月24日、広島放送局の「浪花節大会」に出演し、「羊飼娘」を口演。早川燕平、日吉川秋斎も出演。

 1931年2月22日、上京してJOAKの「浪花節大会」に出演し、「雷電と八角」を放送。浪花亭綾太郎、玉川次郎、早川燕平、東家左楽遊が出演。

『浪曲旅芸人』の付録の一門系図によると、1943年に没した由。

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