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鉄道唱歌と安部能成
明治から戦後にかけて活躍した学者で、文部大臣や学習院大学院長を務めた安倍能成。
若き日は夏目漱石の家を出入りし、漱石一門として名を連ねた。何かと馬の合う小宮豊隆とは親友であった。
しかし、酒の席では正反対で静かな酒の小宮に対し、安倍能成は陽気な酒であった。
絡み酒こそしないものの、陽気のあまり困ったくせがあった。
酔いが回ってくると「鉄道唱歌」を延々と熱唱するクセである。
「汽笛一声新橋を……」から歌い始めるのは良いが、横浜、鎌倉、その先を過ぎてもまだやめない。
ある時、小宮と一緒にいた席でその悪いクセをやり始めた。周りが止めるに止められずマゴマゴしていると、小宮は安倍能成に向かって、
「安倍!ストップ!」戸板康二は「鉄道だけに、ストップがおもしろい。」と褒めている。
戸板康二『あの人この人』
今もなお学習院大学の名学長とうたわれる安倍能成。戦後、混乱する学習院をよく取りまとめ、進駐軍や政府の我儘に屈するところなく、自由な校風を守り、今の上皇や関係者、文化人たちを育て上げた。
高位高官を相手取り、自身も権力を握った事から官僚のように目される事もあったが、実際は骨のある文人で、なかなかシャレのわかる人物であった。
若い頃は夏目漱石の元に出入りし、「漱石四天王」の一人とあだ名されるなど、漱石からも信頼された。
そんな安部能成の人間味を伺わせる一席。
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