寒村と栄の与太話

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寒村と栄の与太話

 ある時、大杉栄が荒畑寒村に尋ねた。
「カベスってなんだ」
 芝居好きな寒村は「そりゃ芝居の通語で、菓子弁当寿司を詰めて、カベスという」と答えると、大杉栄は大真面目に「じゃあ女郎屋へあがったら、カベスで遊ばせろといやいいんだな」といい、寒村をひっくり返した。

荒畑寒村『大杉栄の半面』

 社会運動家として知られる大杉栄と荒畑寒村。荒畑寒村は長命を保ったが、大杉栄は関東大震災直後の動乱に巻き込まれ、甘粕大尉に虐殺された。いわゆる「大杉事件」である。

 戦前の思想弾圧・虐殺事件として日本史にも出てくるので、知っている人も多いだろう。

 そんな悲劇的な最期を迎えただけに、大杉栄はどことなく悲劇のヒロインのような雰囲気・近寄りがたい感じがあるが、実生活では遊び好きな人物であった。

 ある意味では、思想家もまた人間だったといえようか。

 大杉栄は、女郎屋が好きで、「新聞条例」でしょっ引かれた時、牢獄を「女郎屋の格子」に例えて吹聴する等、なかなかに茶目っ気のある人であった。

 一方、荒畑寒村は芝居や落語が好きな粋人で、「団十郎や圓喬に感動した」というなかなかの好事家であった。当人が『寒村茶話』に語った所では「子供の頃役者になりたかった」。結局、諸事情あって役者にならず、社会運動家になってしまったが。

 どちらが文化の為になったか――それは当人のみぞ知る、といったところ。

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