街の悲劇・母

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街の悲劇・母

 宇佐美耕作は丹後宮津でのカフェーで働いている女給の小堀絹子の身の上の哀れさを知って、店に通っては親切の限りを尽くす。
 耕作は己の生活を削ってまでも絹子に尽くし、絹子も傷心を癒やしていく。

 しかし、この関係を浮気と一方的に勘違いした絹子の夫、小堀鉄三は、カフェーに来ていた耕作を無理やり引きずり出し、罵詈雑言と暴力の限りを尽くし、「訴えられるか、この女の手切金の五百円を出すか!」と脅される。
 傷だらけになった耕作は、「こんな傍若無人な男の下にいては絹子さんは幸せになれない」と見切りをつけ、絹子に駆け落ちの旨を話し、鉄三に五百円を叩きつけたあと、人知れず北陸へと逃げていった。
 時は過ぎて十年。ここは秋も深まる函館の街。雪がちらつく中、矢車草が花咲くボロの小屋があった。そこに住まうは、絹子に逃げられた末に零落して目が潰れた鉄三と、その娘、文子であった。
 この親子は貧乏のどん底にあり、文子がなんとか働いて生計を立てていた。しかし、ある時、金にならないことが続き、ふたりとも飢えていた。
 空腹のあまりに文子は餅屋にある餅を盗もうとして捕まり、ひどいおしおきを受けていた。
 そこに「やめたまえ」とやってきたのが一組の紳士淑女。餅代を払い、餅屋を追っ払った。
 この紳士淑女こそ、十年前に駆け落ちした耕作絹子であった。
 泣きじゃくる文子に理由を聞くと、過去のこと、父のこと、そして今の窮状を洗いざらいに話す。
 絹子は目の前にいるのが、実の娘と悟り、小屋に連れて行ってもらう。
 果たしてそこにはやせ衰え目の潰れた鉄三がいた。鉄三はすっかり弱気になり、ひたすら礼を述べるばかりであったが、目の前にいる二人がかつての妻であり、自分が暴力を振るった男だと知り驚愕する。
 そして泣きながら、自分の軽率さ、甘さでここまで零落してしまい、娘の文子に迷惑をかけていることを嘆く。
 すべてを聞いた耕作はこれまでの恨みを水に流して、鉄三に大金を渡し、これで文子に教育をつけるようにいう。
 さらに、絹子に向かって離縁を申し立てる。驚く絹子に、耕作は「文子の親孝行の心に胸を打たれたのだ」と断固として離婚を突きつける。
 文子の前で親子の名乗りをし、鉄三と和解をした絹子。
 そんな姿を見た耕作は涙を噛み殺しながらその場を離れるのであった。

『朝日新聞』(1935年12月1日号)

 実録的な小説を、浪曲師の天光軒満月が脚色したという。

 満月はこういう演題を得意とし、「悲劇哀話」という形で聴衆の涙を誘った。

 今風に言えば「聞く悲劇ドラマ」的な役割を持っていたのだろう。内容に関して特にいう事はない。駄作といえば駄作、当時を思えば面白い。

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