灯籠竹の丹蔵
加賀藩、前田吉徳の家来で浅香三四郎龍興という男は忠義深く思慮深い忠臣であったが、吉徳の寵愛を受ける大槻伝蔵に讒言を受け、お役御免となった。
『読売新聞』(1928年10月14日号)
しかし、このお役御免を惜しんだ仲間たちが金子百両と土地を与えて、綾木町に剣術指南所を開かせた。浅香は「浅香不幸庵」と改名し、剣術修行に明け暮れていた。
ただ、相手が元お侍とだけあって、なかなか入門者がいない。退屈している浅香のもとに一人の男が玄関に現れる。
下男に取り次いでもらうと、そこにいたのは顔の青いヒョロヒョロとした男で、
「ここが剣術指南所か。俺はおめえの所に弟子入りしに来たのだ」
と大変乱暴な口を聞く男。
下男から事の次第を聞いた三四郎、奥へ通して対面する。
男は、相変わらず乱暴な口調で自己紹介をはじめる。
曰く、男は灯籠竹の丹蔵というもので、長らく佐々木日向守の部屋を預かっていた侠客であった。
しかし、くろがねの丑右衛門という同業者がこの丹蔵を嫉妬し、昨年の暮、火事が出た際に喧嘩をふっかけてきた。
腕に自信のある丹蔵ではあるが、丑右衛門は免許皆伝の腕前。屋根の上から突き飛ばされ、火の中に落ちてしまった。
不思議なことに怪我一つ追わずに逃げ出せた丹蔵であるが、待ち受けていたのは、
「佐々木の部屋にそんなものがいるとは都合が悪いので出ていけ」
というお役御免の叱責であった。
丹蔵は丑右衛門をひどく恨んでおり、その意趣返しをしたいがゆえに、浅香の門を叩いたという。
浅香は、その丹蔵の態度に呆れ返るも、
「しかし、今ここで止めなければこの男が何をしでかすかわからん」
と考え、入門を許す。ただし、条件として「修行中は喧嘩をしてはならない」「免許を与えるまで意趣返しは忘れろ」とコンコンと説き伏せた。
浅香の態度に感銘した丹蔵は、一心不乱に修行へ打ち込み、喧嘩を我慢していた。
三年経ったある日、丹蔵は天神橋の上で丑右衛門とすれ違う。
憎き丑右衛門の姿を見るなり、かつての恨みにとりつかれた丹蔵。カッとなって刀を抜いて丑右衛門へ喧嘩を売り、半殺しの目に合わせた。
あわやトドメというときに、一人の男が仲裁に入った。
男は加賀でも有名な剣屋元之助という顔役であった。
元之助は、二人にコンコンと争いの無意味さを論じ、仲直りをさせた。
さらに、己が全て引き受けて丹蔵と丑右衛門に兄弟分の盃をさせた。
これを機に、丹蔵は売り出し、後には元之助の後を率いて、灯籠竹の丹蔵という加賀随一の大親分へと成長したのであった。
講談で演じられるネタ。上のそれは桃川如燕という名人が演じたもの。
今も田辺一門などが時折読んだりする。講談としてはそこそこ出来のいい話であるが、そのくせネットではなかなか転がっていない。
この丹蔵の逸話は、博打うちから侍になった佐々木日向守とセットで語られたりする。そういう性質からか、灯篭竹丹蔵の話は今なお金澤に残っているという。
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