歌舞伎界随一の富豪は?(都新聞芸能逸話集)

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歌舞伎界随一の富豪は?

九蔵が樺太に大森林を持つてゐることは有名で、この立木を伐採して売つたゞけでも俳優随一の金持だといふ評判、懐の貧弱なのが、羨ましいのと口惜しいのとゴツちやして、立木どころか、山林に積つた雪を持って来て売っても相当なもんだらう。

1936年2月5日

 歌舞伎界の富豪というと高給取りで知られた中村歌右衛門と、やりくり上手だった二代目市川左團次が思い浮かべるようであるが、副収入という意味では市川九蔵――後の市川団蔵が一時期トップだったという。

 この団蔵は、團十郎と並び称された名人・七代目市川団蔵の息子に生まれ、跡継ぎとして育った。ただ、父のような狷介で喧嘩っ早い性格ではなく、温厚で控えめな人物であった。

 芸はある程度しっかりしていたものの、地味である印象はぬぐい切れず、いつまでも父と比較された。市川団蔵を襲名するものの、パッとせず遂に脇役にまでなってしまった。

 戦後は貴重な老優として活躍するものの、歌舞伎界の旧弊たる体質や若手の不勉強さに嘆いて「歌舞伎はもう滅びる」「未来はもうない」と口癖のように呟いていたという。

 その末法思想は最晩年一層ひどくなり、関係者を押し切って引退興行を行い、そのままお遍路の旅へ出た直後に自殺をしてしまった。

 この自殺はセンセーショナルな事件として大々的に取り上げられたが、今となっては死の原因は謎のままである。

 戦後、団蔵の覇気が一層なくなったと噂をされたというが、樺太の大森林をロシアに持っていかれたのはあるのかもしれない。

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