浪曲を彩った人々

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関西浪曲界の取締役・中川伊勢吉(四代目)

「関西浪曲界の取締役・中川伊勢吉(四代目) - 浪曲を彩った人々」中川伊勢吉(四代目)は戦前活躍した浪曲師。名門・中川伊勢吉の四代目を襲名し、全盛期は広沢虎吉、岡本鶴治と並ぶ勢力を誇り、清廉潔白・円満人徳な所から多くの浪曲師から慕われた。芸の方も名人として知られ、名人位の名声をほしいままにした。
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夭折の麒麟児・京山円州

「夭折の麒麟児・京山円州 - 浪曲を彩った人々」京山円州は戦前活躍した浪曲師。天才児としてデビューし、広沢晴海と共に「麒麟児」として謳われた。一時期は日吉川秋水、京山幸枝、梅中軒鶯童などを一蹴してしまうほどの人気ぶり、天才ぶりを見せたが、大幹部になる前に30代で夭折した。
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花魁の如し・桃中軒薄雲太夫

「花魁の如し・桃中軒薄雲太夫 - 浪曲を彩った人々」桃中軒薄雲太夫は戦前活躍した女流浪曲師。太夫と称したように面妖な風貌とあでやかな節まわしで人気を博した。「桃中軒」というものの、桃中軒雲右衛門の弟子ではなく、元は河内音頭の踊子である。
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広沢虎吉候補・広沢菊水(二代目)

「広沢虎吉候補・広沢菊水(二代目)」広沢菊水(二代目)は戦前活躍した浪曲師。四代目広沢虎吉の筆頭弟子で、師匠の前名「菊水」を継承。師匠譲りの芸題と幅広い芸風で人気を集めたが、師匠よりも先にドロップアウトしてしまった。
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浪曲師三代・天中軒秀峰

「浪曲師三代・天中軒秀峰 - 浪曲を彩った人々」天中軒秀峰は戦後活躍した浪曲師。九州を根城にし、九州からほとんど出る事のない独立独歩の浪曲師であった。祖父が桃中軒峰右衛門、父が関東秀丸という浪曲師一家のサラブレッドとしても知られたが50代で夭折を遂げた。
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名門三代・京山小円(三代目)

「名門三代・京山小円(三代目) - 浪曲を彩った人々」京山小円(三代目)は戦前戦後活躍した浪曲師。京山小太夫という名前で売り出し、戦後に大名跡の「京山小円」を襲名。衰退する浪曲界の中で奮闘を続け、京山小円家秘伝の「三段流し」とその大きな看板を守り切った
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広沢宗家四代目・広沢虎吉(四代目)

「広沢宗家四代目・広沢虎吉(四代目) - 浪曲を彩った人々」四代目広沢虎吉は戦前戦後活躍した浪曲師。大阪浪曲界のドン・二代目広沢虎吉の後継者として早くから見なされ、広沢宗家の貴公子として活躍した。兎に角幅の広い芸域と芝居っ気のきいた浪曲で一時代を築いた。
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水戸黄門一本槍・吉田若春

「水戸黄門一本槍・吉田若春 - 浪曲を彩った人々」吉田若春は戦前活躍した浪曲師。吉田一門の出でありながら、お笑い浪曲を得意とし、水戸黄門一本で生涯を暮らした奇人である。「天下御免水戸黄門」というすさまじい肩書と赤い陣羽織を羽織ったパフォーマンスで人気を集めた。
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女流の芸豪・摂津弁天

「女流の芸豪・摂津弁天 - 浪曲を彩った人々」摂津弁天は戦前戦後活躍した女流浪曲師。ムチャクチャ堅苦しい名前とは裏腹に、愛嬌と豪快さでドンドンと巻き込んでいく達者な浪曲を得意とし、戦前女流浪曲界の第一人者であった。芸歴が長い浪曲師としても知られた。
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弟の足を切った吉田久丸(二代目)

「弟の足を切った吉田久丸(二代目) - 浪曲を彩った人々」二代目吉田久丸は戦前活躍した浪曲師。初代吉田久丸を父に、天才と謳われた吉田久菊を弟に持つサラブレッドであったが、関東大震災で弟を失ったショックで元気を失い、当人は中幹部として終わってしまった。