紅葉・美妙・柳浪と甘い甘いシュークリームの関係

[random_button label=”他の「ハナシ」を探す” size=”l” color=”indigo”]

紅葉・美妙・柳浪と甘い甘いシュークリームの関係

 カスタードクリームとサクサクの生地が売りのお菓子「シュークリーム」。今やコンビニスイーツや洋菓子の定番として、手ごろに入手できる。食べた事のない人を探す方が難しいのではなかろうか。
 そんなシュークリームを愛した明治文学者たちがいた。当時は洋菓子が珍しく、高嶺の花の時代。それを買って食べていたというのだから、ハイカラというか、なんというか。
『金色夜叉』で知られる尾崎紅葉はシュークリームが大好物で、胃を患う前は(最期は胃癌で死ぬ)、洋菓子やなどから取り寄せて食べていたという。
 因みに日本の文献の中で、一番最初にシュークリームの存在を取り上げたのは、尾崎紅葉らしい。
 一九〇一年一月四日の日記の中に、
「不在中谷口喜作来りシュー・ア・ラ・クリイム二箱持来。」とあるのが最初――と、紅野敏郎『「學鐙」を読む』にある。本当だろうか。

 尾崎紅葉の盟友で、後年ライバルとなった言文一致小説の先駆者・山田美妙もシュークリームが大好物で、土産にシュークリームを持ってこさせるほど好きだった――と日記などから見える。特に有名なのが、山田美妙の臨終の床にシュークリームがあったという伝説だろう。
 これは交友のあった内田魯庵や江見水蔭が暴露して、一躍有名になった。曰く――

 臨終間際に友人の丸岡九華がシュークリームを持ってきた。美妙は喜んだが、病気に勝てず、数日後に死去。訃報を聞いた丸岡が美妙の家を訪れると、賞味期限が切れてカビが生えたシュークリームが仏前に供えられていた……。

 というもの。江見水蔭などは、「悲惨な最期」を意味する形で論じていたりするが、いの一番の供え物が大好物だったとは、それはそれで冥利につくのではなかろうか。

 一方、シュークリームが大嫌いだったのが広津柳浪。味や姿が嫌いなのではなく、「不潔に感じる」という神経質な思い込みだけで、食わず嫌いをしていたというのだから、凄まじい話。
 倅の広津和郎の回想によると、母親がシュークリームを買ってきて、中をあけてみせた。するとそれを知った柳浪は烈火のごとく怒りだし、

「何という危険なものを買ってくるのだ、近頃シュークリームで中毒したと新聞に出ていたのを知らないのか!」

 とシュークリームを捨ててしまった。

 シュークリームを知らない人を探す方が難しいのではないか――という程に、今やスイーツの代表として収まっているシュークリーム。

 その歴史は意外に古く、幕末には既に外国人によって持ち込まれていたそうで、外国人が居留地で経営していたという菓子屋「横浜八十五番館」が、日本におけるシュークリーム販売の最初だと伝えられている。

 そこで働いていた谷戸俊二郎が、風月堂に入って、明治16年頃に発売を始めるようになった事により、日本への定着がはじまった。

 余談であるが、明治時代のシュークリームを再現したものは、自由ケ丘風月堂が扱っていたりする。

 そんなシュークリームにまつわる逸話である。

[random_button label=”他の「ハナシ」を探す” size=”l” color=”lime”]

コメント

タイトルとURLをコピーしました