実の父親を知らぬ振りをする市村又三郎(都新聞芸能逸話集)

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実の父親を知らぬ振りをする市村又三郎

仁左衛門の倅、オット違つた、羽左衛門の養子又三郎、歌舞伎座の部屋では羽左衛門と家橘との間へ鏡台を置いて親子水いらずの圓満ぶりだが、たまに仁左衛門が部屋へ来ても又三郎ろくに口もきかず、仁左が出て行つた後で羽左衛門に、お父さん今の人はどこの人です……?はないでせう

1941年5月5日号

 ここでいう又三郎とは、後の市村吉五郎である。十二代目片岡仁左衛門の息子として生まれ、育てられたが、市村羽左衛門に認められて市村家に入り、「市村又三郎」。さらに父亡き後に「市村家橘」を襲名している。

 この又三郎は、六代目菊五郎の実子・尾上九郎右衛門と腹違いの兄弟関係にあったという。母親は六代目菊五郎の後妻となった寺島千代。千代は元々芸妓で多くの歌舞伎役者と浮名を流したと聞く。

 兄の十四代目片岡仁左衛門(片岡我童)は、十二代目仁左衛門と血縁関係がないので(愛人が別にこさえた子供を引き取った)、又三郎は事実上の長男であったわけである。

 父譲りのおっとりとした美貌で品格のある舞台を得意としたが、ハングリー精神に薄く、余りにも若旦那若旦那し過ぎていたのが欠点であった。

 1945年に羽左衛門を、1946年に仁左衛門を、1952年に兄の家橘を失う――という境遇の悪さも地味な芸風に拍車をかける要因になったという。ある意味では可哀想な人であった。

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