昼夜で郎党役で出れば昼夜労働?(都新聞芸能逸話集)

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昼夜で郎党役で出れば昼夜労働?

歌舞伎座の團菊祭は、菊五郎、吉右衛門組、羽左衛門、幸四郎組と二手に分れ、連出、早帰りの連中がだいぶある中に、薪水、九朗右衛門、太郎などは朝方へ出て、昼は鮓屋で梶原の郎党をやり、夜は布引瀧で実盛の郎党を勤める、薪水の曰く。これが本当の昼夜ろうとうだネ

1941年5月1日号

 今でこそ四天王や郎党は名の知れぬような俳優が演じるようになったが、その昔は御曹司や部屋子が演じることが多かった。

 今のようにむやみやたらに大役をつけすぎず、さりとて名優の芸を目の前で見られる四天王の役は修行に持って来いだったといえよう。

 戦後の歌舞伎を彩った歌舞伎俳優たちはこうした修業からみっちり積み上げて、先人の芸や心得を学び、消化して見せたのである。

 鮨屋は『義経千本桜』のすし屋の段の事。鮨屋弥左衛門に匿われている平維盛を、梶原景時(ここでは珍しく景時は後に善人とわかる)が郎党を連れて厳しく詮議を始める。郎党に目立った台詞はないが、緊迫したシーンをすぐ目の前で見る事ができる儲け役ではある。

 一方、布引滝の郎党は最後にしか出てこない役だが、ずっと陰で控えているため、これもまた勉強になる役である。

 この中で出てくる薪水は後の人間国宝・十七代目市村羽左衛門、九朗右衛門は六代目尾上菊五郎の息子、太郎は市村亀蔵の息子の市村太郎のこと。この市村太郎は才能があったものの戦死を遂げた。

 そうした郎党を「労働」にかけた、という下らない洒落であるが、真面目一辺倒で知られた薪水がこういうことを言うのが意外というか。

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