鏡獅子の小姓は古いか新しいか(都新聞芸能逸話集)

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鏡獅子の小姓は古いか新しいか

菊五郎が歌舞伎座の楽屋で鏡獅子の小姓の扮装をしながら丑之助を顧みて、オイこの役は古いやうで、なか/\どうして新らしいんだが判るかい、といふので丑之助が首をふつて見せるとこの位の事が判らないでどうする、小姓が後で獅子になつてから毛を振るだらう、つまりコショーを振るのは洋食の時に極まりきつてる、判つたかい、は大したおやぢさん

1933年1月8日号

  六代目菊五郎は、九代目団十郎が演じた鏡獅子を娘二人(翠扇・紅梅)から厳しく仕込まれ、遂に自分の芸にした。戦前は菊五郎の事実上の独占の芸として知られ、可愛がっていた後輩の中村福助以外にはほとんど許さないなどの権威を誇った。

 今の鏡獅子は六代目の手腕によって成立したといってもいい。御曹司しか出ることを想定しなかった獅子につきそう胡蝶に尾上菊之丞、尾上しげる(西川鯉三郎)を抜てきして、宗家の遺族と対立をしたり、独自の演出をこさえてみたりしたが、それも大切な財産として受け継がれている。

 六代目は相当に自信を持っていたと見えて、生涯唯一残した公式映像もこの「鏡獅子」であった。

 そんな権威のある鏡獅子であるが、当の菊五郎は倅の丑之助(後の七代目梅幸)にこんなこといっていたのだからおかしい。

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