子供もわかる忠臣蔵の兜あらため(都新聞芸能逸話集)

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子供もわかる忠臣蔵の兜あらため

歌舞伎座の忠臣蔵の大序、兜改めの件で、お定まりの通り義貞の兜だけが図抜けて美々しい、福助の顔世御前がそれこそ義貞のだと見極めると、見物席の子供が、母ちゃん、あれなら僕にだつて判るよ

1930年11月11日号

 歌舞伎の中でも特別な演目として扱われる『仮名手本忠臣蔵』の発端は、戦死した新田義貞の兜の検分から始まる。

 この検分に務めるのが塩谷判官(史実の浅野内匠頭)の妻の顔世御前であり、顔世の美貌を知っている高師直(史実の吉良上野介)は執拗に顔世をストーキングする。ただ、大序では、高師直は自分の意見と対立する若侍の桃井若狭介に憎悪を持っており、権威をカサに来て、相手を罵倒しまくる。

 この兜あらためでは、歌舞伎のお定まりというか、新田義貞の兜だけ豪華絢爛にできている。見た目の嘘(敵将の風格を見せるための作り事)というわけであるが、そうした前提条件を知らない子供から見れば、アホにしか見えない事だろう。

 この時、顔世御前を勤めた福助というのは、夭折した五代目中村福助の事。本名・慶次郎と名乗った所から「慶ちゃん」と綽名された。先年亡くなった人間国宝の七代目中村芝翫はその息子、今の中村福助と芝翫(橋之助)兄弟は実の孫にあたる。

 ちなみにこの月は歌舞伎座でも仮名手本忠臣蔵が出、明治座でも「義士尽忠録」と題した忠臣蔵の新作狂言の通しが行われている。対抗意識丸出しである。

 これに泡を食ったのが両座掛け持ちの七代目坂東三津五郎、歌舞伎座では足利直義と道行の鷺坂伴内をやり、それが終わると明治座に駆けつけて義士伝や大喜利所作に出ねばならなかったのだから大変な話。

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