林家正楽は寄席のバーナード・ショウ? (都新聞芸能逸話集)

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林家正楽は寄席のバーナード・ショウ?

松竹立花の楽屋で正楽が、顔合した誰れ彼れを相手に、持前の皮肉を弄してゐると、浪曲の瓢右衛門が、イギリスに何とかシヨウといふ有名な皮肉老人がいるが、貴公はさしづめ落語界のシヨウですネ、と一矢報ゐたはいゝが、その名を完全に思ひ出せず、ドツコイシヨウですかとまぜつ返されたりした後で、やつとバーナード・ショウと判つたンでは、この一矢一同に効目なし

1941年2月7日

 林家正楽は戦前戦後を代表する紙切りの名人である。今日も寄席に出ている紙切りの林家の源流はこの正楽である。

 紙切りがうまく、喋りも達者、俳句も文芸もたしなむという才人であり、落語界からも重宝されていたが、生涯「色物」という評価に悩み続けた。どれだけ芸があっても紙切りというだけで差別される境遇から皮肉屋気質になり、これは晩年まで続いた。

 皮肉も皮肉でニコニコした顔で相手の嫌な所を付く事をよしとした。口では「アナタは素晴らしい芸人だ」と言っておきながら、その人が去ると「全く嫌な奴で……」などという皮肉は日常茶飯事であった。

 廣澤瓢右衛門に指摘された「バーナードショウ」はノーベル文学賞を受賞した作家・批評家である。「マイフェアレディ」の原作「ピグマリオン」などの傑作を残したが、創作よりも皮肉に才能が有り、戦前はなかなかのカリスマ性を持っていた。

 そうした所を指摘したいのだろうが如何せん寄席芸人の悲しさ、「ドッコイショウ」などと言われるのは、哀しい笑い話であるよ。

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