2022-06

都新聞芸能逸話集

カラス天狗の海水浴を見た吉右衛門(都新聞芸能逸話集)

「カラス天狗の海水浴を見た吉右衛門 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」1921年正月の市村座では、市村座連中と仲が良かった岡村柿紅の新作「盛綱先陣」が書き下ろされ、上演される事となった。これは藤戸渡りの伝説を描いた作品である。
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偉人大好き二代目市川左團次(都新聞芸能逸話集)

「偉人大好き二代目市川左團次 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」二代目市川左團次は不器用、一本調子、義太夫と舞踊が苦手という歌舞伎役者の素質に恵まれなかったが、それを有り余る才能と情熱、そして熱心で見事に克服し、名優となった。
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山野一郎の声色は百円ショップの代物(都新聞芸能逸話集)

「山野一郎の声色は百円ショップの代物 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」山野一郎は、戦前戦後に活躍した活動弁士、俳優、漫談家である。戦前は弁士と俳優として、戦後は寄席の漫談家として活躍した。そんな山野は二代目市川左團次を敬愛していた。
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いたずら孫娘を褒めちぎった三津五郎(都新聞芸能逸話集)

「いたずら孫娘を褒めちぎった三津五郎 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺 」八代目坂東三津五郎には、喜子、慶子、寿子という三人の娘がいた。この孫娘を七代目三津五郎は溺愛し、息子を勘当した後も(後年許される)、孫娘の事を気にかけていた。ここで紹介されているのは、守田喜子――先年亡くなった十代目坂東三津五郎の母、坂東巳之助の祖母である。
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立ち聞きの多い腕の喜三郎(都新聞芸能逸話集)

「立ち聞きの多い腕の喜三郎 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺 」腕の喜三郎は江戸時代に実在した侠客の一人で、喧嘩で腕を大怪我したが、「こんな見苦しい腕はあってもしようがねえ」と門弟にのこぎりで落とさせ、片腕になった――という猛者で、この伝説が江戸中に知られて評判になったという。今も両国回向院にその墓がある。
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人間は時計のようにいかない坂東彦三郎(都新聞芸能逸話集)

「人間は時計のようにいかない坂東彦三郎 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺 」ここでいう坂東彦三郎は六代目。名人・五代目菊五郎の実の息子で、五代目が兄貴分と見込んだ坂東彦三郎家の養子に入り、坂東家を継承した。人間国宝で知られた十七代目市村羽左衛門は実の息子、今も活躍する坂東彦三郎はひ孫にあたる。
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26年間、舞台から引込まない羽左衛門(都新聞芸能逸話集)

「26年間、舞台から引込まない羽左衛門 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺 」歌舞伎の演目と技法に「だんまり」というのがある。「暗闘」という字を当てるそうだが、「暗闇の闘い」の名の通り、闇の中にいる心で演者一同が手探りあい、見得をする――という古風なものである。
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引越しよりも鯉や鮒の飼育が楽しみな仁左衛門(都新聞芸能逸話集)

「引越しよりも鯉や鮒の飼育が楽しみな仁左衛門 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」ここでの我當とは、昭和から平成にかけて活躍した名人・13代目仁左衛門の事である。義太夫狂言と深い解釈のある演技と芸談で晩年「神品」とうたわれるほどの人気を集めた。
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玉井の可楽、表彰される(都新聞芸能逸話集)

「玉井の可楽、表彰される - 都新聞芸能逸話集及びその周辺 」玉井の可楽とは七代目三笑亭可楽の事である。芸能評論家の安藤鶴夫が彼の芸に心酔し、小説を書いたほどであった。地味な芸であったが、聞く人が聞けばわかるそんな芸であったという。