人間は時計のようにいかない坂東彦三郎
先月の歌舞伎座で初日以来ずつと風邪気だつた彦三郎、すつかり調子をやつてゐたが、やつと治つたと思っつたら其時は千秋楽、でも二月興行は初日からいゝ具合で……と思ってゐたのが今月の初日あたりからまた風邪気、彦旦那、首を捻つて、どうも人間は時計のやうな工合にはいかない
1934年2月5日号
ここでいう坂東彦三郎は六代目。名人・五代目菊五郎の実の息子で、五代目が兄貴分と見込んだ坂東彦三郎家の養子に入り、坂東家を継承した。
人間国宝で知られた十七代目市村羽左衛門は実の息子、今も活躍する坂東彦三郎はひ孫にあたる。
この彦三郎、役者としてはいささかヌーボーで、兄の梅幸や六代目菊五郎のような名優扱いはされなかった。
ただ、御曹司ならではの格式や風格は立派なもので、戦前歌舞伎の貴重な逸材であった。
御曹司とだけあってか、芝居以上に道楽が大好きで、時計や機械いじりなど、意外に工学系の遊びが好きであった。壊れた時計や機械を古道具屋で買って直したり、家財道具を分解するのが好きだというのだから、なかなか凝っている。
中でも一番の趣味は時計で、時計の収集の他、時報の確認をしたり、時計の修理を行って喜んでいたというのだから、いよいよ御曹司である。
彦三郎は手入れをすれば寸分違わぬ時計を愛好していたという。人間はそう行くまいが。
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