講演嫌いの国木田独歩
国木田独歩は講演嫌いで、相当に準備できる講演以外は引き受けたがらなかった。
しかし、その講演嫌いは、聴衆の前に出るのが嫌だとか、喋り下手でうまく話せないから出ない――というわけではなかったそうである。
「時間はライフの一部で、何分も無駄にしたくない」という信条で断り続けたのが独歩らしい。
ある時、沼波瓊音が「文芸講演に出てほしい」と頼みこんだ。返事を渋る独歩に、沼波は、
「なんでもいいでしょう。一時間くらい、何かしゃべってくださればいいのです」
と軽口をたたくと、独歩は見る見るうちに顔をしかめ始め、「それがよくない。なんでもいいことは決してないのだ。むこうがよくてもこっちはよくない。講演の一時間でも、ライフの一部だ。無意味な一時間は費やしたくない」
と、啖呵を切った。
沼波瓊音『徒然草講話』
沼波は、その独歩の豹変に驚くとともに、「その後の生活に強みを吹き込んでくれた」と回顧するほど、感動をしたという。
国木田独歩は、キリスト教や神学を基盤とする理想主義的な観念を強く持っていたそうで、禁欲的、自省的な所が目立ったという。
当時の文人にしては珍しい程に堅い人間だったのは、そういった自制が働いていたからではないだろうか。
もっとも、体があまり強くなく、己の寿命をある程度悟っていたという見方も出来なくもないが。
そんな独歩の「生活是文学」といった信条を強く示した逸話である。
良くも悪くも、思想家色の強かった沼波瓊音がこれを褒めているのが意外といえば意外。
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