戸川秋骨の雷と皮肉

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戸川秋骨の雷と皮肉

 若い頃の戸川秋骨は大変な潔癖症で雷を落とす怖い先生であったという。
 教え子の奥野信太郎によると、怠け者にはすぐ「落第」の烙印を押し、少しでも態度が悪いと教室からつまみ出す神経質な先生だったという。
 そんな落第生たちがなんとか予科を卒業する折に「英文学に進みたい」と相談しに行った。
すると秋骨は平然と
「英文学だけはよしたほうがいい。今の諸君は論じることが好きなようだが、英文学というものは論じにくいものでね。船を乗る楽しみを論じるというわけにはいかないだろう」
 と答えた。それを聞いた生徒たちは、その場でこそ大笑いしたが、後で「君たちに英文学の面白さはわからないのでは」という皮肉ではないかと考えたという。

奥野信太郎『久保田万太郎の綴方教室』

 戸川秋骨は、慶應義塾大学の名物教授であった。
 翻訳家としても知られ、ボッカチオ、エマーソン、ツルゲーネフ、小泉八雲などを翻訳し、紹介した功績は大きい。
 また、島崎藤村や馬場孤蝶とは古くからの親友で、樋口一葉の付き合いがあったのも有名である(ただ、一応は転(嫌味)な哲学者と貶しているが)。

 晩年は明治文壇の良き語り手として、好々爺たる存在になったというが、若い頃は随分と血気盛んな人物で、斎藤緑雨と喧嘩したり、島崎藤村と喧嘩したりと逸話がある(もっとも藤村とは学友であり、因縁じみた喧嘩ではなかったが)。

 旧友の平田禿木は、

「馬場孤蝶は口では過激なことを言うと筆を執ると穏健、逆に戸川秋骨は会うと穏やかだが筆を執るとハラハラするような事を書く」

 と言う話を紹介しているが、温厚な顔の下に凄まじい情熱や熱気を持っていたのかもしれない。

 そんな戸川秋骨の骨を思わせる一頁。

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