高山樗牛のプライドの秘訣

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高山樗牛のプライドの秘訣

 明治歴史小説の傑作『滝口入道』の作者、高山樗牛は、よくも悪くもプライドが高く、冷酷とも取れる「眼中にない」態度は多くの関係者の顰蹙を買った。
 あまりにもクレームや陰口が凄まじいのを目の当たりにした、友人の大町桂月。高山樗牛の下宿を訪ねた際、「傲慢は良くないことだ」と諌めた。
すると、高山樗牛は平然と、
「自分は常に人を凌ごうとしてる。その代わりに裏面においては人一倍の努力をしているのだ。」
 と答えた。嫌われることも覚悟と、きっぱりと答えた高山樗牛に、大町桂月もまたそれきりは何もいわなかった。

『冷汗記』

 高山樗牛は、明治中期を代表する言論人である。「日本主義」「美学論」といった思想や観念は、多くの若者に影響を及ぼした。

「列強になるべく大日本帝国」という思想や「優勝劣敗・適者生存」といった考え方は、明治期の教科書や政治運動に大きなイデオロギーとなったという。

 一方で、ロマン主義やニーチェの思想や哲学を紹介し、美学や文芸評論、哲学の分野でも新たな領域を展開した。

 今日では、その思想の脆弱性や列強主義容認といった形で批判もされるが、良くも悪くも明治を代表する思想家といっても過言ではないだろう。

 当時、殆ど日本で顧みられなかったニーチェを愛読するだけあってか、その人柄は尊大で、良くも悪くもプライドの高い人物と目された。論争大好きな森鴎外に喧嘩を吹っ掛けた事を考えればその度胸やプライドの強さが判るのではなかろうか。

 そんなこんなで親しい友人は少なかったが、同じ文芸評論家であった大町桂月とは親しかったという。そんな二人の「プライド問答」というべき逸話。

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