都新聞芸能逸話集

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コードで引っ張られた鏡山の行灯 (都新聞芸能逸話集)

京都南座の顔見世興行「鏡山」で尾上部屋自害後、友右衛門の岩藤が入らうとすると、行燈が前に出過ぎてゐて邪魔になる、黒衣が出て位置を直せば何んでもなかつたのを、咄嗟の場合、コードを引っぱったので行燈がスル/\とひとり歩き、満場ドツと来た中に口の悪いのがいて、見ていてごらん、いまにあの行燈から尾上の幽霊が出まツせ
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これぞ洒落、落首ご喝采(都新聞芸能逸話集)

東劇の楽屋集合室に、誰の悪戯か、元禄快挙の落首を半紙に回転貼つてある「今まではあさいたくみと思ひしに、ふかいたくみに切られ上野」「色青くなる黄なる涙を炭部屋で、赤にそみたる白無垢の袖」といふのだ、その余白へ鉛筆で「落書すべからず」だの「うまい/\」などいろんなことが書いてあるが、中に傑作は、 「落首ご喝采」
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クマとりの本場は北海道(都新聞芸能逸話集)

北海道のさる客筋から訥子のところへ、少し必要があるので、恐縮ながら「車引」の梅王、松王、桜丸及び時平公のクマを書いて教へてもらひたい、と云ふ依頼があつたので訥子、早速、隈取りの本を出して、それをお手本に半紙に一枚々々書きながら、クマトリなら北海道の方が本場だらうに
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菊五郎一座の数字づくし(都新聞芸能逸話集)

「菊五郎一座の数字づくし - 都新聞芸能逸話集及びその周辺 」菊五郎一座の京都南座――六代目の源九郎狐に、文七元結で家主甚八、手代の文七に野崎の駕籠舁源六、町人五郎八、千本桜の花四天と泉三郎、高坏の作者が久松一声、野崎の百姓久作と義経千本桜、太刀盗人の田舎者万兵衛、等々、これほど数字が揃つてゐるのに、十と二だけがないのは不思議と思ったら、それ昭和十年の二月興行
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幸四郎が親なら娘も娘 (都新聞芸能逸話集)

松本幸四郎は歌舞伎界随一の子福者として知られ、歌舞伎役者になった息子や娘婿全員が出世したという教育者としても知られた。今日も歌舞伎界の中心にいるのはこの幸四郎の直系であったりする。その影響力の大きさと言い、教育の成功といいい、近代歌舞伎における第一人者ではないか。
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大物浦に小物浦(都新聞芸能逸話集)

「大物浦に小物浦 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺 」大物浦は源義経が平家討伐の船出をした場所として知られ、古くから源平合戦の舞台の一つとして取り上げられてきた。義経千本桜で平知盛が錨を投げて自決を計るのも、船弁慶で義経一行が知盛の霊に苦しめられるのも皆、大物浦である。
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お爺さんと呼ばれたくない鴈治郎

「通天閣とガンジロはんは大阪の顔」と謳われるほどの人気を集めた初代中村鴈治郎は、歌舞伎界でも随一の子福者と知られ、子孫に恵まれた。今なお歌舞伎界の一角を占めているのは鴈治郎の直系である。
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カラス天狗の海水浴を見た吉右衛門(都新聞芸能逸話集)

「カラス天狗の海水浴を見た吉右衛門 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」1921年正月の市村座では、市村座連中と仲が良かった岡村柿紅の新作「盛綱先陣」が書き下ろされ、上演される事となった。これは藤戸渡りの伝説を描いた作品である。
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偉人大好き二代目市川左團次(都新聞芸能逸話集)

「偉人大好き二代目市川左團次 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」二代目市川左團次は不器用、一本調子、義太夫と舞踊が苦手という歌舞伎役者の素質に恵まれなかったが、それを有り余る才能と情熱、そして熱心で見事に克服し、名優となった。
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山野一郎の声色は百円ショップの代物(都新聞芸能逸話集)

「山野一郎の声色は百円ショップの代物 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」山野一郎は、戦前戦後に活躍した活動弁士、俳優、漫談家である。戦前は弁士と俳優として、戦後は寄席の漫談家として活躍した。そんな山野は二代目市川左團次を敬愛していた。