都新聞芸能逸話集

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水戸黄門が能面を壊せば夜叉王が作る(都新聞芸能逸話集)

「水戸黄門が能面を壊せば夜叉王が作る(都新聞芸能逸話集) - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」1936年6月の歌舞伎は、明治座では中村吉右衛門と尾上菊五郎の「黄門記」の大顔合わせ、東京劇場では二代目左團次の十八番「修禅寺物語」が行われていた。
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生きながら香典をもらった柳家つばめ(都新聞芸能逸話集)

「生きながら香典をもらった柳家つばめ - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」三代目柳家つばめは、戦前の人気落語家・音曲師である。司会者・宮尾たか志の親であり、寄席文字橘流家元の橘右近の師匠ともして知られる。群馬県生まれの為、少し訛りがあったが、自慢の喉と音感は寄席でも随一の腕前で、落語そのものよりも音曲噺や都々逸で人気を集めた。
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酒が飲めなくなった元酒豪の阪東寿三郎(都新聞芸能逸話集)

「酒が飲めなくなった元酒豪の阪東寿三郎(都新聞芸能逸話集) - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」阪東寿三郎は関西歌舞伎の大御所で、初代鴈治郎亡き後、実川延若、市川寿海と共に関西歌舞伎の継承を担った。関西出身にしては非常にあっさりした理知的な芸風で、「古典より新作」に定評のある役者であった。その関係から市川寿海と相性がよく、「双寿」と綽名された。
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段四郎のやった事ないスポーツは?(都新聞芸能逸話集)

 市川段四郎は、三代目猿之助・四代目段四郎の父であり、香川照之の祖父にあたる人物である。二代目猿之助そっくりの風貌と恰幅のいい身体を持ちながら、50代半ばで倒れ、夭折した。在世時には、歌舞伎界随一のスポーツマンとして知られており、スポーツをやるのも見るのも好きだった。
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天ぷら屋をはじめた松旭斎天勝(都新聞芸能逸話集)

「天ぷら屋をはじめた松旭斎天勝 - - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」松旭斎天勝は明治末から昭和初期にかけて一世を風靡し続けた天才の女流マジシャンである。その美貌は伊藤博文から三島由紀夫まで魅了し続け、「絶世の美女」「奇術の女王」の異名をほしいままにした。そんな天勝が天ぷら屋を開いた話。
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昼夜で郎党役で出れば昼夜労働?(都新聞芸能逸話集)

「昼夜で郎党役で出れば昼夜労働? - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」十七代目羽左衛門が坂東薪水と名乗っていたころ、叔父や先輩の大舞台の郎党に出ていたころの逸話です。
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三代目左團次候補の浅利慶太(都新聞芸能逸話集)

二代目市川左團次は名優と謳われながらも、後継者に苦しんだ一人であった。そんな左團次が晩年溺愛したのが、妻・登美の甥にあたる浅利鶴雄の息子(左團次から見れば大甥)、浅利慶太であった。劇団四季の創設者で演劇界の親玉的存在であった浅利慶太その人である。
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一人娘の扁桃腺もカワイイ中村芝鶴(都新聞芸能逸話集)

中村芝鶴はインテリと美貌の歌舞伎俳優として知られた名脇役であった。処世術は確かであの手この手で修羅場を乗り越えた。芯のある女方の芸と良識を持ち味に多くの俳優から慕われた。最晩年まで、大幹部の格を保ちながら天寿を全うしたのは、何かと躓きたがる俳優にしては珍しい事であった。
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前進座の看護師役・市川莚司(都新聞芸能逸話集)

「前進座の看護師役・市川莚司 - 都新聞芸能逸話集及びその周辺」市川莚司とは聞きなれない名前であるがその正体は戦争体験記『南の島に雪が降る』の作者であり、長門裕之・津川雅彦兄弟の伯父である加藤大介である。
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ああ自分達が客になりたい(都新聞芸能逸話集)

「ああ自分達が客になりたい- 都新聞芸能逸話集及びその周辺」正岡容は落語や浪曲の台本作家、研究家として知られた人物である。自身が落語修業をやっていた事もあって、芸人と仲が良く、何かと面倒を見ていた。そんな正岡容が持っていた落語会の逸話である。